鈴北糸の雑記帳

三人組創作ユニットがなんとなく始めたブログ。

10ページ目:好きの詳細を話すのは難しい話

こんばんは。糸です。

北が洋楽を紹介した次のブログがこれなので我々がバンドを組んでいるのではなくて良かったと思います。バンドだったら音楽性の違いで解散してましたね。

 

さて、唐突ですが皆さんは好きなものを好きと言える人でしょうか。ちなみに糸はそれなりに仲良くなった人にはオタクだというのは告げていますし、そもそも早晩バレると思っているのでそうでない人に対しても必死に隠しているわけではありません。割とさっくりアニメや漫画やスマホゲームや小説が好きだと言っているタイプだと思います。

では、次に皆さんはこのアーティストが好き、やこの漫画が好き、ということを言える人でしょうか。私はこの辺りのことは相当仲のよい何人かには告げている気がします。とはいえ基本的にはあまり告げていません。

ではその先、このアーティストのこの曲が好き、このアニメのこのキャラクターが好き、ということはどうでしょうか。私の場合もはやこの辺りは相当仲のよい人かつ同じコンテンツに触れている人がその話題を振ってきた時くらいしかまともに話していないと思います。鈴と北にはその条件に当てはまらなくとも話したこともありますが、でもやっぱりほとんど話していないと思います。

それではいわゆる布教という行為はどうでしょうか。私は相当のことがない限り布教という行為もしません。おすすめ動画ですら多分あんまりしていません。

さあここまでで大体想像がついたと思いますが、私は好きを共有することが非常に苦手です。これについて2点に分けて考えたいと思います。

 

1.他者の評価が怖い

もはやこれに尽きるのでは?と思われるかもしれませんが、実は私の中ではそこまで重要ではない理由。自分の好きなものに対する他者からの評価が怖い。これは幼い頃の家庭、小学校、中学校、高校で自分の好きなものに対する評価が否定的であったとかそういう話ではありません。いやまあ否定的な人はどこにでもいますしね。別になかったかと言われればそんなことはないですが。でもまあ自分の好きなものを否定されるのは嬉しい感情は抱かないんじゃないですかね。苦手、とか好みじゃない、は気にしないけど好きじゃない、とか嫌い、って言われるのはやっぱりいい感情は抱かないなあと思っています。

2.自分の考えを見られるような気がする

正直にいえば私が好きを共有するのが苦手な理由はこれが9割を占めていると思います。

我が家の母と妹は好みがとても似ており、一方私はその正反対のものが好きでした。母と妹は音楽ならアップテンポ、絵画なら彩度の高いもの、一方私は音楽ならバラード、絵画ならパステル画というように本当に全く好みが被りませんでした。幸いその好みを否定されることはなかったのでそこは良かったとは思いますが、なんでそれが好きなの?と聞かれることは妹より多かったと思います。そしてそれが苦手でした。おそらく母は悪意を持っていたのではないでしょうし、むしろそれは他者に伝えるという能力を育むのには適しているような気もしますが。そしてそれは小学校でも存在しており、純粋な疑問であろう"なんで?"という言葉に明確な言葉を返すことが苦手でした。中学校、高校はオタクでない人に多少距離をつくられることはあっても、"なぜ"を問われることはなかったですが、これはそもそも私が話していないからだと思うので割愛します。

つまり、私は好きなものに対して"なぜ"という疑問を向けられた結果、好きを伝えることは私の感じたことや考えたことを相手に伝えなくてはならないことだと幼少期に学んでしまったわけです。正しい学びではない気が大いにしますが。ただそのように捉えてしまったために好きを口にはできるのにその詳細を告げるのが苦手になったのだと思います。さらに言えば詳細を告げて"なぜ"を問われず、その"好き"を納得された場合には自分の感じたことや考えたことの少なくとも一部が相手に伝わったということだと思うとそれはそれでなんだか気恥ずかしい気持ちになるのです。そして結局何も悟られないようにするには口を噤めばよいということになるのです。

 

さてこうして好きの詳細を告げるのが難しいという話をつらつらと書いていたら予定時刻を大幅に超過し、木曜日投稿は泡沫の夢となりました。

それではまた次回の記事でお会いしましょう。よい週末をお過ごしください。